第77回日米学生会議 選考
2025年1月提出
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高校生の時、私が読書を通じて最も影響を受けた一つが、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「物語」についての洞察でした。人類の歴史を形作ってきた様々な物語の役割は、哲学、歴史学、社会学、経済学など、多岐にわたる分野で重要なテーマとなっています。この広範なテーマへの関心は、私の知的好奇心を刺激する一方で、具体的な行動や意見表明を躊躇させる要因にもなっていました。大学生活も2年が経過しようとする今、私は自身の探求分野を絞り込む必要性を強く感じています。現代においては、グローバル化とデジタル化の進展により、従来の国民国家という枠組みが揺らぎ、新たな形の共同体や物語が生まれつつあります。そのため、異なる国の若者たちが出会い、それぞれの文化や歴史に根ざした視点を交換することには、特別な意義があると考えています。日米学生会議は、まさにそのような対話の場をおよそ90年にわたって提供してきました。この歴史ある対話の場で、私は国家の枠組みを超えた新しい物語の可能性を実践的に探求していきたいと考えています。
元の文章:
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の。このテーマは重要であることは間違い無いのですが、広範な分野にまたがる問題であるがゆえにあらゆる分野に目移りしてしまうような状況になってしまわ、実際的な行動に向かうことができずにいました。僕はこの日米学生会議との出会いにおいて、一旦その範囲を有限化し、。それがもたらす生成変化は90年ほどの歴史によって形作られたに
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再編集:
多和田葉子氏の著作、特に「献灯使」を紹介します。彼女の作品は多様なテーマを包含しているため、それを一言に還元するのは憚られますが、特に注目すべき点は、戦後のトヨタの経営方式にみられるような革新的な強さとして発現する一方で、周囲との調和を重視するあまり個人の意見や創造性が抑制されてしまう脆さの側面を彼女の作品は具体的な形で追体験させてくれるということです。このような読書体験は、異文化としての日本を無批判に礼賛することも、自身が育った西洋近代文化の価値観を無意識に絶対化することも避け、バランスの取れた批判的な態度を養うことにつながるでしょう。
編集後:
多和田葉子氏の著作、特に「献灯使」について述べたいと思います。彼女の作品は多様なテーマを包含しているため、一言で要約することは適切ではありませんが、特に注目すべき点があります。それは、日本的な方法論が持つ「ゆるさ」の二面性です。この「ゆるさ」は、戦後のトヨタの経営方式にみられるような革新的な強さとして発現する一方で、周囲との調和を重視するあまり個人の意見や創造性が抑制されてしまうという弱さも内包しています。これらの側面を彼女の作品は具体的な形で追体験させてくれます。このような読書体験は、異文化としての日本を無批判に礼賛することも、自身が育った西洋近代文化の価値観を無意識に絶対化することも避け、バランスの取れた批判的な態度を養うことに寄与するでしょう。
編集前:
多和田葉子氏の著作、特に「献灯使」を紹介します。彼女の作品は多様なテーマを持っているのでそれを一言で還元してしまうのは憚られますが、一つ重要なのは日本的な方法論が持つ「ゆるさ」の、戦後のトヨタの経営方式の革新性などに見られるような強さと、同調圧力により何となく場合の脆さの両面を、具体的な形で追体験させてくれるということです。このような読書体験は、異文化である日本の態度を手放しに礼賛することに対しても、自らが生まれ育った西洋近代文化の考え方を無意識的に絶対視してしまうことに対しても、批判的な態度を涵養するのに役立つでしょう。
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昨今のソーシャルメディアにおいて、エビデンス。マッチョイズム的な根性論や悪しき伝統がもたらす惰性よりも科学的な合理性が重視されるようになったことそれ自体は喜ばしいことですが、過度に数字や客観性を重視することによって、偶然性が生んでくれるさまざまな恩恵が軽視されがちなように思えます。そういう機械的な処理というのは、今後人工知能の発展により、どんどん人間のやるべき作業として捉えられなくなっていくようになるのだろうと僕は考えています。芸術や文学においては、記号は意味を持ちながらもその意味を絶えず生成変化させています。この「遊び」を日常性の中に取り入れていくことが、これから考えていかなければならない大きなアジェンダの一つではないでしょうか。(アンチ・エビデンシャリズム)